top of page

友人を看取りを通して


昨日、友人を看取りました。

といっても僕が介護をしたわけでも仕事で関わったわけでもなく、友人として身近な人の喪失体験をしました。


今年の初めに癌のステージ4が分かり、抗がん剤治療を頑張っていました。そして緩和ケア病棟に移って1週間少しで亡くなりました。


仕事で癌ターミナルの方と関わること、お看取り、沢山経験しました。やはりプライベートとは違うんだなと。


抗がん剤治療頑張ってる時から僕は会うと泣くしかできませんでした。他の友達が我慢してる中でも1人で最初から最後まで泣いていました。


「大丈夫だから」「また会いに来てよ」といつも僕が逆に励まされてて、仕事で遅くなってオンラインで話した時も僕は泣いてしかいなかったのは今でも他の友達に笑われます。


緩和ケア病棟は、面会自由で20時まで人数制限もなく会えたので、本当に毎日毎日変わるがわる友人が行きました。

友人間でも介護者の負担になるだろうか、本人を疲れさせちゃうんじゃないか等々色んな意見を毎日LINEし合いました。でも結論は後悔ないように僕たちも会おうよということ。昔の写真なんかをプリントしてこの時こうだったよねなんて話をして過ごしました。


亡くなる前日も会いに行きました。これも初めて自覚したのですが僕は思ったより口下手でした。

手紙を書いたりしたのですが、どうしても直接伝えたかった。でも周りに人がいるとそんな気になれず言えなかったりしましたが、伝えられました。


どの言葉がいいんだろうとも悩みました。

頑張ったね、も今苦しい中で頑張ってる中でも違う。心配してるよ、も違う。結果的には、感謝をしているよ有難うという気持ちを伝えました。

苦しい中でも頷いて聞いてくれました。


亡くなった時も連絡をくれ、夜でしたが、総勢20人くらい病院でお別れしました。その先のことや手続きなんかの時だけ今の仕事の知識やツテがいかせた気がします。



大学1年生の時に教授から「家族や友達は福祉じゃない」と言われて何言ってるんだこの人と思ってずっと反発していましたが、少しだけ意味がわかった気がします。

無力感や友人間でもどの人に知らせるかとかこの人は来ないとか看護師さんにももっと優しく体交してほしいとか本当に色んな感情が湧き上がりました。自分自身のことを考えたり、友人たちの優しさに触れて濃密な時間でした。


今日の天気がすごく良かったことも

これは気休めなのかとかこじつけなのかとか思ったりもしましたがこじつけでもなんでもいいんだなと感じました。これからは介護者のグリーフケアに徹していきたいと思いましたし、自分のメンタルケアもしたいと思います。


結論的には、仕事に活かせることは少ないのかもしれないけれど、この経験は自分にとってとても大きいものでした。感謝をしながら生きていこうと思いますし、もっと寄り添えるケアやコミュニケーションが取れるといいなと思います。


いつもと違う文章で失礼しました。赤津

特集記事
後でもう一度お試しください
記事が公開されると、ここに表示されます。
最新記事
アーカイブ
タグから検索
まだタグはありません。
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page